東京の東京っぽいところに就職して、まあ色々うまくいかず地元に帰ってきてもう1年。
大阪は久しぶりじゃないけど久しぶり。
中学の時点で他県に進学して、大学進学と同時に実家を出た。
大阪の外にいると、かえって自分は"大阪の人間”であると強く意識するし、意識させられる。それが長年積もり積もってアイデンティティの一部になっていた。
けれど今、大阪のどこにも、ようやく帰ってきましたとあいさつに行くべき場所はない。母校や恩師は他県に。地元の友人もいない。縁が切れたのではなく、はなから存在しない。地元の公立小学校には通わなかったから。ただ親きょうだいの住む家があるだけ。
それでもこの10年の間、実家にはひんぱんに帰っていたし、百貨店がリニューアルすれば訪れ、そのとき一番流行ってる飲み屋街を遊び歩き、最新の享楽を十分フォローしていたから、大阪に疎くなったという気はしない。そもそも大阪を自分の街だと思うのは、中高生のころ、放課後の帰り道に梅田や心斎橋で途中下車して遊び回った記憶がそうさせている。大阪の地縁が濃いからではない。
都市としての大阪がずっと好きだ。
それにつけても関西の代えがたい良さは間違いなく飲食店にある。無職の間何をしているかといえば、もちろん食事をエンジョイしている。
3000円前後でおなかいっぱい満足できる飲み屋が充実した生活環境、最高ではない?
大阪がくいだおれのまちなんてのは観光用のキャッチコピーで、ヒトモノカネの中央一極化社会では結局東京に「おいしい」が集まってるんでしょう?と思っていた。確かにそう。そうなんだけど、一度23区内の法外な賃料と食費を経験するとさぁ……。
なにより、猥雑さの真ん中をすり抜けて街を探索するのは楽しい。
東京にいるとき、同じようなビルが延々と並ぶビジネス街で誰も自分を知らないことが心地よかった。社名同士で挨拶を交わす、私の名前がない空間。
大阪にそのような場所はない。いくら地縁が薄いとはいえ、大阪にいると私は何者でもなくなれない。けれども、夜の天王寺や千日前を歩くと、錆びた鉄の赤茶色と電飾の散漫な明かり、どこかから聞こえるサイレンの音が私の輪郭をぼやけさせる。その安心感は浮遊感になり、縦横に伸びるアーケード街の隙間をわたるとき独特の自由な心持ちがある。
あのなんともいえない感覚を忘れられないかぎり、自分は大阪の人間だと思う。
大阪の人間といえば、小学生のころに山﨑豊子の小説をよく読んでいた。いわずとしれた経済小説の名手なんだけど、それってつまりホモソーシャルの力学を外からまなざして勝手にアテレコするのがばつぐんに上手いということである。今思えば、ある種のBL作品に近い快楽があった。(山崎豊子を読んでたころはまだBLを読んでなかったんだよ)
とりわけ好きだったのは、大阪の商家を題材に採った初期の作品。共感をもって読んだわけではない。登場人物(そしておそらく作家自身)をとりまく地縁血縁に圧倒されるかんじだった。都市としての大阪のB面みたいな部分というか。
大阪に住む限り、そのウエットさとまったく無関係ではいられない。『私たちの中学お受験フェミニズム』とかいうきわめてニッチ、かつ俗っぽい本を作ったのも、この地域の特定の階層で繰り返される生活の不文律に関心があるからで。
そんなわけで、自分の読書体験の一つの原点である山崎豊子の作品が改めて気になっている。フェミニスト批評に触れるようになってからは、ますます。山崎豊子は、船場に生まれてしまった女の生きのびかたをどんなふうに書いたんだっけね。読み返して感想など書けたら良いですね……。
最後はおいしいものの写真でも載せるか。大阪で私とおいしいものたべよう!
冷たいすだちそば
これマジで好き
15年ぶりくらいに金龍