軽くて重い

いなだ易のブログ

2022年の読書記録

2022年は労働していなかったので時間がたくさんあった。時間があると本が読める。
そもそも、本や映画の感想などを呟こうと思って今のTwitterアカウントを始めたはずだが、呟くタイミングを逃してしまいがち。

年間ベストは決められないが、読んで良かったなあ、2022年の記録として残しておきたいとおもった本を順不同にざっと記録しておく。

 

 

フィクション以外の本

・『生活の批評誌』Vol.5「「そのまま書く」をより良くこじらせるために」2022年刊行

批評同人誌『生活の批評誌』の最新号。
特集タイトルと巻頭言が良い。
特に女性たちが内心や経験を「そのまま書」いたものが文学的に軽視されてきた歴史を苦く思う反面、いざ「そのまま書」くことを試みるとき、その営みの危うさに立ち止まってしまう。その警戒心を、深く内面化した軽蔑へと回帰させられないよう「よりよいこじらせ方」を探る企画。(←私の要約です)

 

収録記事はどれも面白かったが、特に心に残ったのは『生活の批評誌』の企画・編集者でもある依田那美紀さんの「幸福の表明を破る」。

この批評で問われるのは、フェミニストフェミニストとして生きるとき、女性ジェンダーに課される「“幸福の表明”を放棄してもなお、“幸福の表明”を放棄したことの“幸福の表明”に駆り立てられてしまうのではないか。」(66頁)という疑問である。

ウェブサイト『She is』(2017-2021)や、ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(2018)の事例を引き、「祝福」の呼びかけや「反撃」の呼びかけによって、女同士で「書くこと」が肯定されてきたと分析したのち、「書く」人同士や、「書かせる」人と「書く」人の間で暗黙に保たれ続ける「幸福の表明」はいかにして破れうるのか?と検討は続く。

 

私がこの文章を読んで考えたのは、まさに自分が「書かせた」人たちのことだった。
2020年に所属する同人サークルでハロー!プロジェクトの曲をテーマにしたエッセイ集を企画した。言い出しっぺとして責任編集を受け持ったのが私だった。明示的にフェミニズムと結びつけてないけど、編集者も執筆者も全員女性。我ながら他にない本だと思うし、編集作業は楽しかった(幸福の表明)。

そのとき私は、“人生に楽曲がクリーンヒットしたエピソード”を書いてください、と内容を一任して執筆をお願いしている。

 

それはもちろん、あなたのことを教えてくださいという意思表示だった。相手が好きだから依頼したのだし、あわよくば仲良くなるきっかけにしたい(!)。

反面、情緒的な自己開示を求めるテーマを設定して、「書いてください」と依頼する行為について、自分で企画しておきながらどうなんだろうねと思い続けている。
エッセイ作品として、私的なできごとをより仔細に、内心をよりリアルに、私や読み手が気に入るような“良い話”として書くべきだというふうに相手を動機づけてしまいうる、自分の立場がこわかった。


だから、巻頭言や企画記事を通じてエッセイ集の試行全体に音楽批評的な意義づけをすることで、ナマの〈自分語り〉そのものを無留保に“良きもの”として並べるやり方は避けた。

一方でアイドルや音楽への愛着をダシに人のプライベートを切り売りするような後ろ暗さはあって、嫌な汗をかきながら企画書を送ったのがもう2年以上前のことだ。

今振り返ってもモニョッとした不安はぬぐえない。2022年に同人誌が完売して、これ以上文章を流通させる機会がなくなったときは、肩の荷がやや下りたようでもあった。

 

誰であれ自分を語ることになんらか意味はある。聞かれなければ生まれない語りもある。語りたいことを語りうる場はたくさんあったら良い。その語りが文字によって書かれ、誰かに読まれることで社会の思考は広がる。その作用を求めてエッセイ集を企画したのだ。それでも、自分が誰かに何かを「書かせ」るとなると、「こんなことをしてしまって良いのだろうか」と考え込む。

 

私自身は書きものが好きで、自分自身の話もたまに書く。公開するときはいつも言葉が読み手を深く刺すことを恐れながら、おそるおそるアップロードボタンを押す。あのわだかまりは、そんなきわどい行為を誰かに課し、あまつさえ最初の読み手であり企画編集者である私のために「書かせ」る心苦しさだったかもしれない。

「企画者の身内の盛り上がりに水を差せなくて、書いてくれたのかな」と疑う、もっと卑屈な心持ちがあるような気もする。

 

いずれにせよ私は、自分ではない他の女性に「そのまま書く」依頼をするとき、みっともなくおろおろしてしまった。知己の友人からフォロワーまで関係の深さは様々だったが、それぞれみんなに対してだ。

基本的に、「「書かせ」ることによって相手と仲良くなれるかもしれない」という期待はばかげている(完全に捨てたくはないんだけど……)。その人の経験も、考えも、書きたいことも、エッセイ集をどのように感じていてどんな原稿が飛び出してくるかも、本当のところはわからないまま、「書かせる人」「書く人」の緊張関係に入るから。

今も、みんなが寄稿についてどう考えているか改めて聞く勇気、ない。聞いたら気さくに、「書けて良かったよ」と答えてくれるだろうと予想できるけど、予想できるからこそ。

 

「幸福の表明」を破るためには、「うろたえる準備」ができていなければならないと結ぶこの文章を読んで、他者の前に決まり悪く立ち尽くしたあの感覚を思い出した。

 

井上貴子「「逸脱」を演じる――女の子バンド体験からみた〈ロックと性〉」(『鳴り響く性――日本のポピュラー音楽』収録)1999年刊行

前から読みたかったロックのジェンダー批評。

特に1節の分析が良い。ロックは男性性と結びつけられる要素が強調される音楽ジャンルだが、「ロックは、エレクトロニクスに依存しているからこそ、肉体的差異を無効にする可能性を示してくれたのだと言わなければなるまい。」(63頁)

2節以降は、筆者自身の70年代後半のバンド経験に基づく記述。ロックをジェンダーの視点から歴史化する試み、おもしろいなと。

2023年1月現在絶版しているので気になる方は図書館などでお読みください。

 

内藤千珠子『アイドルの国の性暴力』2021年刊行

『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』寄稿執筆のタイミングでようやく読めました。

 

・田島悠来編『アイドル・スタディーズ』2022年刊行
和田彩花鈴木みのり編『エトセトラ』Vol.8「アイドル、労働、リップ」2022年刊行
エトセトラ VOL.8

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アイドル(文化)のあり方を記し、考える書籍がたくさん出て、そのうち一冊はアイドル自身が編著だなんて大きな潮目の一年だったと思う。ご縁を頂いて前述の『アイドルについて~』に寄稿させて貰ったのも嬉しかったです(誰やねん感すごかったね)。

 

那須耕介『つたなさの方へ』2022年刊行
・上間陽子『海をあげる』2020年刊行
・スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著 三浦 みどり 訳『戦争は女の顔をしていない』
・東園子『宝塚・やおい、愛の読み替え 女性とポピュラーカルチャーの社会学

2022年読んだ中で思い返す機会が多い本たち。

 

・ショーン・フェイ著 高井ゆと里訳『トランスジェンダー問題』2022年刊行

まだ読み終わってないけど良いので。①

 

江原由美子『持続するフェミニズムのために グローバリゼーションと「第二の近代」を生き抜く理論へ』2022年刊行

まだ読み終わってないけど良いので。②

 

フィクションの本

小説

綿矢りさ『てのひらの京』2016年刊行

金閣寺の近くで生まれ育つ三姉妹のお話。特に末っ子の凛が、就職を機に京都から出ることを決める話。筆致は爽やかながら、関西の都市とくに京都特有の磁場がまとわりついてくるような錯覚を味わう。

綿矢作品は、物語の舞台をどこか一箇所に特定するイメージがなかった。だから、この小説の京都の生活描写が徹底的にリアルで驚いた。具体的な地名ももちろん頻出する。

例えば京都の碁盤の目を歩いているときって、今どの通りを曲がったなとかめっちゃ意識するんだけど、そういう町の中で暮らすときの思考がまさに文字になっていた。

 

倉橋由美子『暗い旅』1961年刊行

再読。読み進める中で強制的に自分が「あなた」にさせられる違和感が最高に良い。何回も読みたい。

 

・宇佐見りん『くるまの娘』2022年刊行

中学受験家庭小説では?と一部で話題に。感想は前の記事でまとめました!

 

・山下紘加『あくてえ』2022年刊行

「文藝」夏号で読んだ『あくてえ』がめっちゃ面白かったから、山下作品を『ドール』『エラー』と読んだ。
どの作品も題材にインパクトがあってファンになったけど、やっぱ個人的には『あくてえ』かなあ。家庭と怒りというテーマは、『くるまの娘』とも共通する。

先に読んだ『くるま』は怒りを俯瞰して、許したり諦めたりしてしまう非力さがある小説だったけど、『あくてえ』は怒りをめいっぱいぶちまけて歯を食いしばる小説。

 

カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳『忘れられた巨人』2015年刊行

記憶にまつわる小説。仕事を辞めて何の機関にも所属しない宙ぶらりんの状態になって、何をしていたかというと、過去のことを思い出してばかりいた。


大学時代のことをもう思い出せなくなってる。日常の中で必要だった情報、授業一コマが何分だったかとか、大学で幅をきかせていたテニサーの名前とか、毎日の繰り返しの中で忘れようがなかったはずのことをどんどん忘れていって怖い。
そのくせ、クソどうでも良いのについ昨日のように色褪せない記憶もある。院進して最初の飲み会で男性教員の隣に配置されてお酌させられたなぁとか。それも今となってはもう、本当に起きたことだったか検証しようもない。多分みんな忘れてるのに、自分だけ過去に取り残されているようだ。


記憶も忘却も本来的にままならない。それにしても、忘却によって訪れた平和はいつまで続くだろう。「忘れることが幸せ」という言葉は、誰が何を忘れられて、誰が何を忘れられないのか、その狭間にある痛みを覆い隠してしまう。それを問い続けなければ平和は維持できないから、忘却に抗う小説として『忘れられた巨人』が書かれたのではないか。

 

・柚木麻子『BUTTER』2020年刊行

再読。1年だけ東京に住んだことにより地味に解像度がアップしてびっくりした(七面鳥買うシーン、日進デリカテッセン)。

 

漫画

・模造クリスタル『黒き淀みのヘドロさん』2018年刊行

友人のおすすめで読んだ。なぜ人造人間を「ヘドロ」から作ったか。人が人を生むことについて考えてしまった。今後も読み返したいな。

 

草間さかえ『外村探偵社の招かれざる客』2022年刊行

急にBL、草間さかえ先生のBLが好き好き好きなので。

 

・久住太陽『ウマ娘シンデレラグレイ』連載中

白い稲妻編完結めでたかった。タマモクロスさん……!

 

武井宏之シャーマンキング』新章シリーズ 連載中

新章本当にアニメ化するんですか?何を?どこまで??

シャーマンの力で資本主義(の神)と戦うバトル漫画をアニメ化することあるんだ。
本編の展開にはツッコみたいところいろいろあるが、なんやかんやシリーズ全部頑張って読んでるのでどういう仕上がりになるか気になる。

 

美内すずえガラスの仮面』連載中

ライバル譚が好きだからたまに読み返す。マヤに面と向かって天才ってはじめて指摘するの亜弓なんだ、萌えすぎる。マヤと亜弓が殴り合う一連のシーンを額装して玄関に飾りたい。マヤの魂の片割れ、真澄じゃないだろ、亜弓だよ。

 

よしながふみ「ある五月」(『それを言ったらおしまいよ』収録)2004年刊行

『大奥』のドラマ始まるまでによしなが作品いっぱい読も~と思って引っ張り出したらウワ~。
女性ジェンダーの強い抑圧に晒されて生きてきたであろう幸子が、偶然出会った大学教授の夫と結婚するが、夫の前で被抑圧者としての振る舞いを再演しつづけ、振られてしまう話。夫の目線から老いらくの再婚エピソードとして出会いと別れが語られるのだけど、実際のところ幸子の物語なんだよね。
印象に残った理由は、去年地元に戻って、人と共同生活を始めて、自分が育つ中で身に染みついてやめられない振る舞いを意識するからです。完

 

 

書き忘れてるの色々ありそうだけどキリがないので終わります。

映像作品はあまり観てないです。『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』をキャッキャ観てたら一年終わったな……。ほんまに面白かった。はるか先生の自動車教習回が好きすぎる。今のところ『水星の魔女』は追ってます。

 

大阪に居を移したこともあって、ハロプロ現場にあまり行けなかったのが心残り。つばきと娘。の単独くらいかな。ライビュはおおむね観に行きました。

関西に戻ってきたので、宝塚観劇にはたくさん連れて行ってもらいました。友人に感謝。雪組『夢介千両みやげ』『Sensational!』、星組『めぐり会いは再び next generation-真夜中の依頼人-』『Gran Cantante!』、宙組『HiGH&LAW-THE PREQUEL-』『Capricciosa!!』、雪組蒼穹の昴』。

 

そういえば私ポケモンのおたくやってきたんですけど、SVは久しぶりにシナリオが好きでした。最初の1匹にはクワッスを選んだよ。剣盾・アルセウスにはハマれなかったので嬉しかったですね(過去作だとRS/DPt/BW2/SMが好き)。

 

こんな感じかな。2023年は働くつもりなので本読めない予感。それなりにぼちぼちやっていきます。
てぱとら委員会では新刊同人誌の企画(準備期間長めのやつ)が動いてます。年内に発行できたら良いな。