本記事は、「文藝」2022年春季号掲載の小説・宇佐見りん『くるまの娘』に感動したてぱとら委員会メンバーが、2022年3月16日にTwitterスペース上で開催した感想対談の書きおこしです。
※小説の展開のネタバレがあります。ご留意下さい。
p:pirarucu(@pirapirarucu)です。
易:いなだです。
p:私、人生であんまり小説読んでこなかったんですけど、最近結構「文藝」買ってるわ。人生どうなるかわからんね。
易:この前pirarucuさんが「私はその時一番流行ってるファッション誌をずっと買ってきたけど、今はその気持ちで文藝を買ってる」って言ってたの面白かった。
p:恥ずかしすぎる。ミーハーすぎよ。でもずっと買ってるし、ちゃんと読んでる。前から活動を追ってた人が書いてるのがでかいんかなと思います。水上文さんとか児玉雨子さんとか。読みたくなっちゃう。
・今回のスペース対談の主旨
p:私たち2人が所属するサークル・てぱとら委員会は、昨年2021年11月に『私たちの中学お受験フェミニズム』という同人誌を発行しました。
そこで取り上げた内容と、「文藝」2022年春季号の特集「母の娘」、特に宇佐見りんさんの小説『くるまの娘』が似たような関心に基づいてるのでは?と思ったので、『中学お受験フェミニズム』での議論を踏まえつつ読んでみよう!という。
易:ちょうど同人誌を出し終わってから発売されて、ワクワクしながら読んだら同人誌の対談で喋ってたような話がすげえ載ってる……!って思った(笑)。
p:びっくりしたよな。
易:そのころすごい中学お受験フェミニズムに敏感な頭になってたから……(笑)。
p:ピピピ……中学受験!(笑)。
・『私たちの中学お受験フェミニズム』とは
p:『私たちの中学お受験フェミニズム』は、2000年代後半に近畿圏で中学受験を経験した同級生が集まって、中学受験の制度に潜んでいたジェンダー不平等や女子受験生が直面する歪な教育期待などについて、アンケート調査をしたり、論考をしたり、対談をしたりしながら考えていくという。
易:「中学受験のフェミニズム」って何だろうって考えたときに、入試の不平等を問題視したかったのはもちろんなんだけど、それだけじゃなくて。
受験に至る道のりの話とか、中学受験をさせる親ってどんな人だったんだとか、中学受験をした後の人生とか、広く捉えて編集したやん? そんで、中学受験は子供だけがするというより、家族でするものやから、対談パートでも中学受験期の家庭のエピソードに結構踏み込んだりしたんやけど。
p:個人的な話しかしてない。私、本当にマジで親の悪口しか書いてないからね。
易:(笑)
p:親のド悪口を同人誌に書いて地元の本屋で売るという大愚行をしている。なんでこんな人間になってしまったんだ。
易:小学生のpirarucuちゃんは浮かばれると思うけど(笑)。
そんな感じで私たちが思い出しながら語ってた話と、『くるまの娘』がリンクする部分は多かったかなと。面白かったよね。
p:『私たちの中学受験お受験フェミニズム』は、てぱとら委員会公式HPの通販ページや、取扱って頂いている書店さんの店頭で購入できます!
・「くるまの娘」のあらすじ
易:主人公「かんこ」は高校生。学校にはあまり行けてないし、家庭も不和っぽい。「かんこ」は家族の中のニックネーム。
お母さんは脳梗塞の後遺症で健忘に苦しんでる。父と母の三人暮らし、兄と弟は家を出てて、兄は去年大学を辞めて結婚して、弟は母方の祖父母の家に引っ越して高校に通いはじめたところ。父方の祖父母が危篤になって、群馬県の片品村まで看取りと葬式のために帰省する。家族で車に乗って行って帰ってくるのが小説の大筋。
その道中、車の中や外でどういう会話をしてるかなというのがね。
p:全編通して家族間の会話の描写がすごい写実的やった。
易:めっちゃ家族の会話って感じよね。前提とかすっとばして喋る感じ。
p:おうちの中の会話。
易:描写上手いよね~。
・「車」というモチーフ
易:私がめっちゃおもろいなって思ったのは、タイトルにもなってる“車”っていうモチーフの設定。すげー良いなって。
p:車ね。車でお出かけをして行って帰ってくる話だよね。
易:車ってさ、ファミリーカーってのがあるくらい、家族の象徴やん。車のCMってどれも幸せ家族!って感じでさ。
p:家族揃って車でお出かけ、ワクワクって感じよね。
易:でも、実際そんなワクワクすることばっかりじゃないやん。車って実は狭い密室で、密室ってだけで危険だし、高速で走る鉄の塊で。しかもそのハンドルは親が握ってる。
その中で確かにCMみたいに和気藹々と喋ることもあるんやけど、急に危険な空間にもなるっていう。作られたパブリックイメージと実態に乖離があるよね。
p:なんかあると狭い車の中が一気に重苦しい雰囲気になるとかあるよね。
易:超あるよね。
p:ピリついちゃうと車の中どこにも逃げられないしさ、すごい空気になっちゃう。
この間『私ときどきレッサーパンダ』(2022年、ドミー・シー監督)観て、それも主人公が母親と若干不和なんやけど、車のシーン結構あって。めっちゃ重苦しいのよ、車の中が。
易:(笑)
p:どこにも逃げられないから。
易:後部座席で死んだように座って(笑)。
p:揺られているしかない。わかる~(笑)って思った。子供にできることはそれしかないからね。
易:シートベルト締めてね。車は外から見れば何事もないかのように進み続けて。
その感じがまさにこの小説の描き出す家庭という箱の姿と重なってドンピシャやなと思いました。
・父親について
p:そう言えば、かんこの家って中学お受験家庭じゃないですか。それがうちら的には気になった。
易:うちら的にはっていうか、この小説を読むうえで結構大事な情報なんじゃないの?って私は思っている。かんこたち3兄弟全員中学受験してるんやっけ?すごいよね。
父親の来歴が結構細かく出てて、国立大卒の大企業勤務、かんこの母方の親族からは、ここのおうちの子はエリートやから、ってヨイショされるようなかんじ。
でも、実親には関心を持たれなかったから、ど根性で苦学生してエリートになったっていう背景があるんよね。独力で成り上がったからこそ、子供には同じ苦労をさせまいと”親の愛”で自ら勉強教えて、中学から私学を受験させてるんやろね。
p:あるよね。結構あるあるの類型やと思う。
易:小説では、家族の関係がいろんなことの積み重ねでこじれていることがどんどん明らかになっていくよね。特にかんこと兄弟が幼少期から父親に厳しくあたられてきたのって勉強のことやん。
親から子へのプレッシャーの形が、早いうちから「勉強しろ」って方向に現れて、しかも暴言、暴力をともなうのはすごい中学受験家庭!って思う。お受験家庭の息苦しさの小説ではあるよなあ。
p:私たちの周りには昔からお受験家庭がたくさんあって、ほんとに人それぞれだし、どこの家庭も同じってことはないんやけど、ある程度類型はある。この父親のタイプってわりと見たことある類型やん。
自分が苦労してるからその分、自分の子供には機会を与えてあげたいと思って色々やってあげるんやけど、自分の欲しかったものを元から与えられてる子供に対する嫉妬心もあったり、与えてやってんのになんでこいつは勉強やらないんだって憎しみがあったり……。
易:子どもが成果を出さなかったり、サボっているように見えると裏返しに爆発しちゃうよね。
p:勉強サボると、「金返せ!」って怒鳴ってくるタイプになっちゃうんだよね。
易:お前らこれが当たり前やと思うなよ、っていうね。
p:子どもからすると知らんがな、という話ですけどね。
易:そう、子どもはその家にしか生まれたことないもんね。そういうタイプの家庭の中で起こりがちなことをすごくリアルに描いているなあと思った。あるある小説だわ。
p:私たちはもうお受験家庭小説としてしか読めなかった(笑)。その類型が頭にあるから。
易:お受験家庭っていう情報を読み飛ばしても物語は成立するし、それもこの小説のすごいとこやけど、理解する上では結構大事なポイントかなって。
まあそれだけ中学受験がごくありふれた家庭の一体化とか、暴力的な側面を加速させがちなイベントだよね、という話かもしらんけど。
・「父の娘」?
易:でもこれ最初に読んで思ったのは、文藝の特集が「母の娘」ってタイトルやんか。
確かに、かんこの母も病気の後遺症で健忘で、精神的にも荒れてアルコール飲んで、手がつけられない存在として描かれてるし、かんこは母親にもイラついてるんやけど、やっぱりこの家を支配してるのは父親やん。決定権を持ってるし、暴力の中枢にある。
普段温厚な人だけど、子どもにとっては、一番のプレッシャーである勉強への圧力の源だし、物理的に暴力を振るう、コントロールしてるのも父親でさ。良い意味で全然「母の娘」だけの話ちゃうやん!と思った。
p:母と娘の関係と父と娘の関係が全然違うというか、書き分けられてるよね。
易:めっちゃこの描写すげえなって思ったのが、父親はそんな普段喋らない人なのに、かんこが問題集解いてる時は話しかけてくる、ってとこ!
かんこの父親は子どもを学習塾に入れずに、自分で勉強を教えて私立中学に合格させたのが自慢なのね。それもかんこが受かったのは「難関校」と明示されてて。
p:サラッと書いてるけど、中学受験で難関校受ける人ってふつう小4くらいから週何日か塾通って、小6になったら毎日深夜まで授業やら自習なのよ。
だから塾を使わずに子供を難関校に入れるってほぼ無理というか、めちゃくちゃに時間と労力割く必要がある。これはお受験親ヤバエピソード。
易:そうそう、子どもに自分の人生かけてる感じがすごく伝わる。中受もさ、パパが誰にも頼らず自己実現するストーリーの一部やねん。
でもそれ以外にコミュニケーションの方法がない。基本的に父親が子ども時代に実家の母親に無視されていた話と、問題集の話の2パターンしか父子の会話がなくて。
p:キショイよな……。
易:(笑)そう、でもその父親の空虚な感じが生々しいなって。もうちょっと取り留めない話とかすればいいのに。
p:そうね、そういうことができないというか、娘に話せることその2パターンしかないんやな。
易:俺は悲しかったんや、の話と、問題集解き方教えたろ!の話しかできへんっていう(笑)
p:アプローチがパターン化しちゃうんよね。それは分かる。
易:過去の話は子どもにが一方的に聞かせるだけやろから、きっと親子が唯一対等に繋がれてたのがお勉強、問題集の話なんやと思うねんけど、かんこは最近それを辞めちゃったんよね。お勉強を。
元々お兄ちゃんと弟は怒鳴られ殴られながら勉強教えられるのが嫌で、中学受験でも第一志望校に落ちて。きょうだいではかんこだけが父の教育の相手ができる、問題集の話ができる相手として父に認められてたし、かんこも父の生き方には憧れていたんだけど、いろんなことの積み重ねで高校に行けなくなる。そうすると、父はブチギレると。
p:俺はこんなに苦労してるのに!お兄ちゃんは勝手に大学やめて、弟も中学でいじめられて高校は別のとこ行って、かんこまで。
金どころか〈おれの人生、返してくれよ〉*1ってね。めっちゃリアル。
易:その描写もね、〈少なくとも見た目には、父は普通の人だった。だがひとたび火がつくと、人が変わったように残酷になる。手や足が出て、ののしられ、誰かが半狂乱になる夜が来る。どこの家庭にもありふれた光景かもしれなかった。〉*2ってすごくね?
p:すごいよ。そうなんだよ。かんこが通ってる難関私立中学校にはほかにもそういう家庭あるだろうよ。
易:かんこのさ、”家庭”ってそういうもんなんだねという達観と醒めた怒りと、殴られているときの無力感が結びついてて、クリアな表現や。
しかも、かんこは自律的に親に反抗したりして勉強をやめたわけじゃないんだよね、〈途中まではよかった。だが二年前から、体が拒絶し始めた。〉*3っていう非力さ。
・母親の話
p:父親がリアルというか既視感あるって話してきたけど、母もめっちゃあるあるっていうかさ……。
かんこの母親は病気で健忘症になって、それからあまり感情も制御できなくなって、せんべい割れたとかで泣き叫ぶ、全然手のつけられない人という風に扱われてて。お酒飲むし、飲んだら父親に馬鹿にされて呪詛を吐きまくるし。
“特殊な母親”として書かれてるようなんやけど、私にとってはこの母親像も見たことあるタイプでさ。
今かんこの家はお兄ちゃんは結婚して、弟も進学で家を出てて、かんこだけが家に残ってる状況で、母親は子供たちが小さかった頃、お兄ちゃんも弟も小さかった頃の家族の形に異様に執着してるやん。
易:そうね。母は病気になって以降の記憶が失われやすくなって、病気になる前の記憶に執着してしまうというふうに説明されてるね。それはつまり家族5人がそろっていた頃の家への執着なんよね。
p:そうそう。それって、母親、あるよね。というか、私の母親とかはそういうのがあるタイプの人なんですけど。
易:そうね。かんこの母親は、子育てが必ずしも期待されてたとおりには進まなかった。かつ病気のために自分自身も弱い立場になってしまった人やけど、要因はいろいろあれど、そういう人っているし?
p:っていうか、母親って子育てが終わると家庭内の立場弱くなっちゃうこともあるやん。特に子育ての裁量権があるというか、子育てを押し付けられている人であればあるほど、子育てが終わると何も残らないというかさ。
易:家庭の中のアイデンティティがなくなったようになる。
p:子どもたちがママ、ママ、って慕ってくれている間は良いけど、子どもが自活するようになって……。”みんなのママ”だった頃に戻りたい、ってなる。
易:確かに。家族の一員が病を患って変わる……ってのも捨象できない要素やとは思うけど、それはほんまにそう。かんこの母親も逆行願望を口にするよね。
この話自体、家族の形が5人であった頃に戻りたいという母親の願望に付き合う形で「車中泊」をしたり、遊園地に行ったりする疑似的な逆行ストーリーやん。
p:そうね。仮に逆行ができたところで、母親にとっては絶対良いことばっかじゃないというかさ。子どもがフルメンバーで子育てをしていたころがそんなに楽しかったかというと、そんなに楽しくはなかったはずなのよ。それでも戻りたい、になっちゃう。
夫は怒鳴るし子どもは手かかるしさ、別に全然良いことないと思うねん。でも、老いて無力で孤独になっていくくらいなら逆行したいんだよね。
易:でも、不可逆なんよ。子どもを呼び集めても、昔と同じだったり違ったりする形の暴力が無意味に反復されちゃうのよね。そこは結構、つらい気持ちになるテーマやなって思った。
一方で、娘のかんこもさ、親から暴言や暴行を受けてきた側だけど、昔に帰りたいなあとか思ってしまう。子どもの側から振り返ると、親の期待とか庇護とか愛情と、暴力とかプレッシャーって切り分けられるものじゃないやん。渾然一体となって自分を作ってるから。
子どもは親から与えられるばかりでなく与える側でもあるし。それにまるっと愛着を持ってしまうっていうかね。そういう相互作用を描くことで、変わり続ける家庭の不可逆さが浮かび上がる。すごいなあと思った。
・親を捨てて自立する?
易:かんこの母はお兄ちゃんが家族と距離を置いてることを結構つらく思ってるやん。「なんでうちに帰ってこないの」と面と向かって言う勇気はないんやけど、かんことか弟に対しては言うよね。
p:愚痴っぽくね。家に残ったかんこははけ口にされてるというか。
易:そんなん言われても知らんがな……っていうか理由は分かっとるやろ!(笑)
p:狂ってるからだよ、この家が!って感じなんだけど(笑)
易:かんこも母親に問われたら〈うちがおかしくなったからだ、全部あんたらのせいだ〉*4と答えてるっぽいんよな。
p:この家が狂ってるから出ていくんだよ!ってみんな思ってんだけど(笑)
易:そう(笑)。
p:じゃあかんこも兄弟のように家を出ていくことを選択するのか、というとそうではないのがこの小説の肝というか、面白いところというか。
易:それこそまさにこの話のテーマやろなぁと思った。親を捨てて「自立」する、それって本当に解決策なのか?本当に現実的なのか?っていうことよね。
さっきもちょっと言ったけど、この話のかんこと親との関係性が不思議やねん。親のふるまいはヤバいけど、心無く虐待する親と被虐待児としては必ずしも書かれてないやん。少なくともかんこはそう見てなくて。
親にされて嫌だったことはすごく鮮明に書くんやけど、それで親の暴力を告発して、お前は毒親や!っていう小説ではないやん?
p:そうね。達観してるよね。
易:かんこは家族の愛情と暴力とか、甘えたり甘えられたりとか、全部切り離せないんでしょう……もちろん親側としては切り離す”べき”だろうけど、かんこにとっては一体的に与え、与えられるものだから。
p:それに、かんこが受けている暴力も書かれるけど、かんこが弟にしてしまったけど忘れているひどい発言とかも書かれてて。
易:弟に覚えてるかって聞かれて、覚えてへん……ってなるんよね。加害者性を突きつけられると、そっちの記憶は乏しい。
p:だからかんこは、家族の中で誰が加害者で誰が被害者か正直わかんなくなってる。
易:そうそう、常にだれも被害者加害者になりうるし、しかも加害と被害の記憶は家族間で食い違うから、客観的に特定することは難しくて……ってのがずっと続いて。核家族だけじゃなくてほかの親族との関係もあるし……その徒労感みたいなのが描かれてるよね。
p:兄と弟は実家を出てて、狂った家を捨ててるやん。そんで、かんこがお兄ちゃんに嫌やったら家出ても良いと思う、的なこと言われるシーンがあるやん。
〈「就職したらね。今、離れて傷つけたくない」〉*5って答えると、〈「自立していないんだよ」〉*6って言われるんやけど、かんこはそれに違和感を持つのね。
易:良いよね、このシーン。
p:そうそうそう。それこそ、“毒親”に関する言説ってここ10年くらいで活発になったと思う。親に苦しむ人たちが可視化されるようになって、無理せず離れましょうとか、それで救われていきましょうって。
易:“毒になる親”は捨てて、別の人生歩みましょうって結構言われるようになったよね。
p:それで救われる人がいること自体は良いことなんだけど。でも、かんこは兄の言う「自立」ってワードに違和感を感じるんよ。
易:かんこは、家族みんな覚えてることが違ってごちゃごちゃになった家を出るのは〈自分だけの記憶を守るため〉*7の行為やって思ってんのよね(笑)。「自立」じゃなくて。そう言われるとそうかもって思った。
兄の言うような、「自立」して家族を捨てるって思想の根底には、人間は本来的に自立できるという思想があるやん。特段理由もなく家族に“依存”しないと生きられない病んだ奴は捨てて、自分一人で誰にも傷つけられずに生きていく。自立できない人がいるなら自立できない理由がなくなるように支援しよう。
近代の資本主義社会のプレーヤーとして自立可能な人、いわゆる健康な成人男性が想定されている話と結構パラレルだと思うけど。そこで仮定されている「自立」できる人、ってすごくフィクションというか、想像上の存在でしかないんじゃないかっていう違和感やんね。
p:それに、お兄ちゃんは自立して家を出たって思ってるかもしれないけど、結婚してるパートナーが年老いたり、病気になって今のお母さんみたいな状況になったらどうするの?って問いをかんこが突きつけると、お兄ちゃんはなんとも答えられないわけよ。
お兄ちゃんの思ってる「自立」って幻想なんだよね、多分。
易:かんこは〈自立した人間の関わり合いとは何なのか?〉*8ってすごく明確に自問するよね。
さっき成人の健康な男性って言ったけど、そういう人たちだって本当はこれまでも「自立」してきたわけじゃないやん。独りで立てないからこそ家庭を作ってて。「自立」できなさっていうのがむしろあらわになる場、そういうのが家庭やん。家庭がうまくいかないから、新たに家庭をもって自立するってなんか……堂々巡りじゃない?
p:「自立」するために自立できない場を持つ、みたいな?
易:うん。あとさ、やっぱり情というか、むしろ泥仕合の積み重ね?それが自分の一部にもなってるし……自分だけ被害者として名乗りをあげて地獄を抜け出すのはなんかためらわれる。
それがいわゆる“”家を出る“のを邪魔をすることはあるよね。家族が必ずしも素晴らしいと思ってなくてもさ。
p:この小説も一個一個を取り出すと、家族ヤバエピソードを克明に描いてて、でも肝としては、じゃあ「自立」可能、ってか家族捨てられるん?ていう。どっちに転びきるわけでもなく、微妙なバランスで成り立ってるのが上手いなって。
易:そうそう。そんなかんこが最後にたどり着く発想がさ、〈天から降ってきた暴力〉*9が私たちを苦しめてるのだっていう!
p:(笑)すごいよね、すごくない? 達観しすぎじゃない? びっくりしちゃったんやけど。
易:(笑)達観ていうか、結局人間が人間として生まれてきたからこその苦しみなんや、という風になるのよね?
まぁかんこの境遇についていろんな考え方はできて、社会構造とか……たとえばフェミニズム的には父親が権力を持つのはとか、近代家族というものがおかしいとか、まあ全部おかしい。
でもそうじゃなくて、突き詰めていけば、人が人として生まれたが故にある人との間の不平等とか違いみたいなものが私たちを苦しめているんだよ、っていうそこが〈天から降ってきた暴力〉っていう表現なんだと思うけど、すげえよな(笑)。
その不条理さを、〈天から降ってきた暴力が血をめぐり受け継がれ続けるのだ〉*10と言ってしまうんだよね。表現も突き抜けてて良いし……。
p:父親がかんこを苦しめるのは、父親が自分の母親に愛されなかったからなんだけど、でもそれだけじゃなくて、さらにさらに、で元をたどっていくと、そうなるっていう話よな。
易:辿っていくともうアレが悪い、じゃなくて〈天から降ってきた暴力〉と思うしかない。
p:この表現ってへたするとかんこが親から受けてきた暴力を相対化して矮小化する方向に動きかねない話ではあるけど。だからといって、親から受けた暴力がなくなるわけでも親の罪を忘れるわけでもないっていう、バランス感。描写力があってこそ書ききれるテーマかなと思った。
易:描写力がスゴいよね~。全編通して家庭の描写が、家族の会話調とかんこのモノローグとで続くねんけどさ、ずっと荒れているわけじゃなくてこう、“凪”と“嵐”が交互に来るというか。
家庭が凪いでて、うまくいけてんのかな~と思ったら、急にブワーって嵐が来て。もう、このまま終わりや……と思って寝て起きたら、家族みんな……仲良し?!あれは、夢……?!みたいな。
p:(笑)その感じ、韓国の映画の『はちどり』*11と同じだよね。もうこの家は終わりです、と思っていたら……(笑)。
でも家族って、家庭ってそういうもんなんだよな。
易:そういうもんなんだよね。あの緊張と緩和を疑似体験できる小説だな。
家族全員の色んな人のエピソードが細切れに挿入されて、俯瞰で分析すると、親、男性、特に父親に権力が集中してて、ってのは読みとれるのに、個々人の主観から見ると加害被害は渾然として特定しがたいんだよね、というか特定せず曖昧なままにすることを暗黙に選んで走り続けるのが家庭のつらさなんだよね。徹底してるよね。
p:絶妙ですね。
易:でもさ〜、それを誰が選ぶのかっていう。クライマックスの心中する、しないっていう、家族の命のやりとりの段になると、心中を選んだり止めたりできるのは親二人だけ!っていうのが絶妙~。
p:それでもそうなったのは親のせいというより、最後は〈天から降ってきた暴力〉でまとめちゃうという。難しい。どっちにも寄り切らん、というかどっちにも寄り切らずによう書いたなって思う。
・かんこの漂着
易:この話さ、ロードムービー的に葬式行って帰って終わっても良さそうなもんやけど、帰ってからのアフターストーリーがちょっとあるのよね。
〈天から降ってきた暴力〉の境地にたどり着いて終わるかと思いきや。帰ってきたかんこが、車から降りられなくなって、一人だけで車で住み始めるってオチなんよ。
p:そうそう。
易:これが自分的に良いなって思った。
そこまでは家庭の中で色んな人が溶け合いながら生きてしまう感じ?を書いてたけど、一人だけ車の中に住んじゃうと、父親は家の外では怒鳴れないから怒鳴りに来たりせえへんし、意外と安全なわけよ。家にいるより。
p:そうね。
易:やから、意外と学校にも通えるようになるし、まぁ母親に運転して送ってもらうんやけど、家の中にいる時より社会にもコミットできて。微妙なんよね、料理は持ってきてもらって、歯磨きは近所の公園でして(笑)。
p:家を出る、とは違うけど、安全な場所。
易:家族の外でもなく中でもなく微妙な立ち位置を見つけるエンドが面白いな~っと思った。
p:お兄ちゃんの言ってる「自立」とは全く違う位置を見つけたということよね。
易:そうそう、お兄ちゃんは一人暮らしとかをイメージして家を出たら、と言ってたんやと思うけど。
p:物理的に車にいるということを選んだわけやん(笑)。
易:それもやっぱ自発的というか自律的に選ぶんじゃなくて、降りられなくなるっていう。
p:それすごいよね。経済的に「自立」してるわけじゃない。なんなら世話されてるねんけど、でも一旦安全ぽい場所が見つかった。
易:その塩梅が絶妙やな。ファンタジック、やけど現実的やなって思った。
p:面白かったな。家族という共同体で生きながら、近代家族システムの中で親から背負わされてしまうものをどう解きほぐしていくかというような話題で、ホットな小説やな。
易:今年はピンドラ(アニメ『輪るピングドラム』)の映画もあるからね~。*12
p:そうそう。そのテーマを、家族からホンマに出ていくという方法でなく、描いてて。
易:微妙な距離感をね。かんこはずっと車に住むわけじゃないだろうし、これから変わっていくんやろうけど、さしあたり家族の完全に内側でも外側でもない微妙な立ち位置を見つけるっていう。それはね、人間ってそうよなあ~、になった。
p:”理性的”にいえば狂った家からは出ようね、なんだけど、それができるのかというと別の話なんだよ。
易:そんで、なすがままにしてたら曖昧ながらも着地したかなって瞬間もさ、たまにあるのよな。
・親への憐憫と中学受験
p:この小説、親への憐憫の情がすごい湧いちゃう。
易:かんこも親への憐憫がすごいよね(笑)。
かんこが家を出ない理由も、〈すがられたからだ〉*13って。それが親を免罪してしまう可能性あるよねって話、それも確かにわかるんやけど。
ここでまた中学受験の話に戻ると、かんこが〈すがられた〉、つまり〈本気で親を守らなければ〉*14とはじめて感じた瞬間が、中学受験の第一志望校の合格発表だっていうねん。これ、ほんまにすごくない?
p:すごい。ほんまにすごいと思う。なんかさ、中学受験って、自分が家族の誉れたりうるんやって実感させられる場やねん。
易:そうやねん。難しければ難しいほどね。自分が頑張れば、というか、自分の成し遂げたことで親ってこんなに喜んじゃうんや!って思う。
p:中学受験難関校合格がその象徴に選ばれるのはわかるよね。人生の最初期に感じる、“誉れ”やん。
易:“家族の誉れ”。
p:“家族の誉れ”じゃん。
易:自分が親のことを守ってあげられるんだ!……というか、親とある種一体化する体験だから、結構必然的な感情なんじゃないかな。
p:そうそう、一体となった家族の一部やと認識する原体験。その感覚がかんこにだけめちゃくちゃあるっていうのは。
易:やっぱ第一志望受かったからかなあ?
p:第一志望受かったからでしょ。同じ方向を向いちゃったんでしょう、お父さんと一度。
易:一度でも完全に一体化したことがあるから、なんでしょうねえ。
p:ずっとやばいおっさんやな~と思い続けているのと、私の教育熱心なお父さん!と思ったことがあるのでは感情の入り方が違うんじゃない?
易:そこはやっぱりきっと、たとえば中学受験で親の期待を背負ったけど負けた人、ずっと負け犬扱いをされた人とは全然違う感覚かもしれない。
p:そうそうそう。だって、失敗してたら、「なんやお前!」って怒鳴られて、嫌やったのに無理やり受験させられて失敗したし最悪のおっさんやなこいつ、と思い続けて成長するわけやん? それは事実だし、ひとつの正解だけど。でも、それとは違う感情を持っちゃってるのよ、かんこは。
易:そうね。お受験本でも言うたけど、中学受験ってそういうもんやな。親が子を“優秀”に育てようとして、家族が密着するから、家庭の危うさも先鋭化する。『くるまの娘』は中学受験家庭小説でもあるんよ。
書きおこしを作ってからずいぶん寝かせてしまった、そして長い……。
ちょ~楽しみにしてた宇佐見りんさんの芥川賞受賞後第一作が中学受験家庭の娘やんけ!!と盛り上がってスペースで喋りまくった回です。
我田引水感はあるけど、年の瀬に振り返っても、『くるまの娘』は個人的2022年ベストの大名作でした。
現在は単行本も刊行されています。未読の方はこちらでぜひ。
ただ「文藝」2022年春季号の「父の娘」特集も良くて、とくに水上文さんの『「娘の時代」――「成熟と喪失」のその後』と本作を併せて読むと面白い。どっちもおすすめ!
中受はさておき、今の気分としては、より年齢を重ねた娘の物語も読みたいな。韓国映画の『三姉妹』*15が今年観た中では印象的だった。