3月上旬に1週間ほど東京に滞在した。東京近郊の水族館と友人を訪ねることが主な目的だ。
合間にTwitterのフォロワーさんに教えてもらった場所を訪れたりもしたので日記を書いてみた。(とはいえあまり行けてないんですが、、)
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東京の東京っぽいところに就職して、まあ色々うまくいかず地元に帰ってきてもう1年。
大阪は久しぶりじゃないけど久しぶり。
中学の時点で他県に進学して、大学進学と同時に実家を出た。
大阪の外にいると、かえって自分は"大阪の人間”であると強く意識するし、意識させられる。それが長年積もり積もってアイデンティティの一部になっていた。
けれど今、大阪のどこにも、ようやく帰ってきましたとあいさつに行くべき場所はない。母校や恩師は他県に。地元の友人もいない。縁が切れたのではなく、はなから存在しない。地元の公立小学校には通わなかったから。ただ親きょうだいの住む家があるだけ。
それでもこの10年の間、実家にはひんぱんに帰っていたし、百貨店がリニューアルすれば訪れ、そのとき一番流行ってる飲み屋街を遊び歩き、最新の享楽を十分フォローしていたから、大阪に疎くなったという気はしない。そもそも大阪を自分の街だと思うのは、中高生のころ、放課後の帰り道に梅田や心斎橋で途中下車して遊び回った記憶がそうさせている。大阪の地縁が濃いからではない。
都市としての大阪がずっと好きだ。
それにつけても関西の代えがたい良さは間違いなく飲食店にある。無職の間何をしているかといえば、もちろん食事をエンジョイしている。
3000円前後でおなかいっぱい満足できる飲み屋が充実した生活環境、最高ではない?
大阪がくいだおれのまちなんてのは観光用のキャッチコピーで、ヒトモノカネの中央一極化社会では結局東京に「おいしい」が集まってるんでしょう?と思っていた。確かにそう。そうなんだけど、一度23区内の法外な賃料と食費を経験するとさぁ……。
なにより、猥雑さの真ん中をすり抜けて街を探索するのは楽しい。
東京にいるとき、同じようなビルが延々と並ぶビジネス街で誰も自分を知らないことが心地よかった。社名同士で挨拶を交わす、私の名前がない空間。
大阪にそのような場所はない。いくら地縁が薄いとはいえ、大阪にいると私は何者でもなくなれない。けれども、夜の天王寺や千日前を歩くと、錆びた鉄の赤茶色と電飾の散漫な明かり、どこかから聞こえるサイレンの音が私の輪郭をぼやけさせる。その安心感は浮遊感になり、縦横に伸びるアーケード街の隙間をわたるとき独特の自由な心持ちがある。
あのなんともいえない感覚を忘れられないかぎり、自分は大阪の人間だと思う。
大阪の人間といえば、小学生のころに山﨑豊子の小説をよく読んでいた。いわずとしれた経済小説の名手なんだけど、それってつまりホモソーシャルの力学を外からまなざして勝手にアテレコするのがばつぐんに上手いということである。今思えば、ある種のBL作品に近い快楽があった。(山崎豊子を読んでたころはまだBLを読んでなかったんだよ)
とりわけ好きだったのは、大阪の商家を題材に採った初期の作品。共感をもって読んだわけではない。登場人物(そしておそらく作家自身)をとりまく地縁血縁に圧倒されるかんじだった。都市としての大阪のB面みたいな部分というか。
大阪に住む限り、そのウエットさとまったく無関係ではいられない。『私たちの中学お受験フェミニズム』とかいうきわめてニッチ、かつ俗っぽい本を作ったのも、この地域の特定の階層で繰り返される生活の不文律に関心があるからで。
そんなわけで、自分の読書体験の一つの原点である山崎豊子の作品が改めて気になっている。フェミニスト批評に触れるようになってからは、ますます。山崎豊子は、船場に生まれてしまった女の生きのびかたをどんなふうに書いたんだっけね。読み返して感想など書けたら良いですね……。
最後はおいしいものの写真でも載せるか。大阪で私とおいしいものたべよう!
冷たいすだちそば
これマジで好き
15年ぶりくらいに金龍
本記事は、「文藝」2022年春季号掲載の小説・宇佐見りん『くるまの娘』に感動したてぱとら委員会メンバーが、2022年3月16日にTwitterスペース上で開催した感想対談の書きおこしです。
※小説の展開のネタバレがあります。ご留意下さい。
p:pirarucu(@pirapirarucu)です。
易:いなだです。
p:私、人生であんまり小説読んでこなかったんですけど、最近結構「文藝」買ってるわ。人生どうなるかわからんね。
易:この前pirarucuさんが「私はその時一番流行ってるファッション誌をずっと買ってきたけど、今はその気持ちで文藝を買ってる」って言ってたの面白かった。
p:恥ずかしすぎる。ミーハーすぎよ。でもずっと買ってるし、ちゃんと読んでる。前から活動を追ってた人が書いてるのがでかいんかなと思います。水上文さんとか児玉雨子さんとか。読みたくなっちゃう。
p:私たち2人が所属するサークル・てぱとら委員会は、昨年2021年11月に『私たちの中学お受験フェミニズム』という同人誌を発行しました。
そこで取り上げた内容と、「文藝」2022年春季号の特集「母の娘」、特に宇佐見りんさんの小説『くるまの娘』が似たような関心に基づいてるのでは?と思ったので、『中学お受験フェミニズム』での議論を踏まえつつ読んでみよう!という。
易:ちょうど同人誌を出し終わってから発売されて、ワクワクしながら読んだら同人誌の対談で喋ってたような話がすげえ載ってる……!って思った(笑)。
p:びっくりしたよな。
易:そのころすごい中学お受験フェミニズムに敏感な頭になってたから……(笑)。
p:ピピピ……中学受験!(笑)。
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10月19日発売・アンジュルムの新曲「悔しいわ」を聴いた感想を残しておきます。
アンジュルム、ほんとにいつみてもかっこいいよね。
以下、作詞者の中島卓偉によるライナーノーツ(YouTubeコメント)より引用
歌詞は日常で感じる悔しさやジェラシーを逆手に取ってパワーに変換するっていうポジティヴなメッセージ。
周りと比べることなんてないけど、同世代の凄い人を見て自分にだって出来るんだと鼓舞することは何かを始める良いきっかけになるはず。
焦ることでいつもより頑張れることもありますよね。
常に一歩先へ行くアンジュルムがあえてこういう歌詞をシャウトすることに凄く意味があると思います。
オケはFUNK、BLACKなサウンドでCOOLなのに、こういう歌詞というギャップ。
でもそれはグループ全員の表現力がないと企画的な曲で終わったり遊びの1曲になってしまいますが、彼女達のポテンシャルに脱帽!
素直に「格好良い!」と僕みたいな音楽玄人を納得させてしまうパワーが今のアンジュルムにはあると思います。
めちゃくちゃ些末でどうでもいい余談から話を始めるとすれば、特許は運じゃないということかもしれない。
続きを読む【C101新刊告知】2日目 東"へ"44a で頒布予定の新刊『京都大学アニメクリティカvol.9』では『二月の勝者』を特集。作中校-モデル校対照表、全生徒合否状況一覧表などのデータ集や、塾講師経験者へのインタビューなどの企画モノが中心になってます。他に一般寄稿もあります。詳細は随時告知していきます pic.twitter.com/dOQYDjIW9e
— 京都大学アニメクリティカ (@animecritica) 2022年12月26日
▼以前更新していた個人note
・同人編集活動
・批評
・近代法
・京阪神エリアの生活
・カップリング二次創作
・プロ野球
2020年から約3年間、友だち6人で同人誌を作っている。
同人サークルを名乗ってはいるが、文筆活動を目的に集まった「同人」ではなく、元同級生の友人グループというのが実際のところである。今となっては全員が10年以上の付き合いだ。
毎年恒例にしていた仲間うちの旅行やイベント企画といった遊びの一環に、同人誌の編集や販売が加わったのである。
遊びといっても本の企画立案や執筆にはかなり真剣に取り組んでいる。真剣に遊んだほうが絶対に楽しいからだ。
これまで出してきた同人誌は3冊。テーマはハロプロ楽曲、中学受験とフェミニズム、「悪女もの」Webtoonと多岐にわたるというか、一見関連性がない。
だからだと思うが、「てぱとら委員会」って一体何のサークル?どんな経緯で同人誌作ってんの?そうしたことをよく尋ねられる。
しかし、なりゆきで始まったことを筋道立てて説明するのは難しい。「友だち同士で活動してるのでサークルの目標や目的は特にないですね……」と答えてみるが、「目的がない」のは友だち関係をやっていく楽しさの肝でもあって、なんだかおさまりの悪い問答になる。
ただ私から自信をもっていえるのは、友だちとの同人活動は楽しい(から広く推薦したい)という一点のみである。
こんなゆるふわなサークル活動の記録でも同人誌づくりに興味がある人の参考になれば喜ばしいし、どこかに書いておかないとそのうち忘れてしまいそうでもあるから、これまでの経緯を記しておこうと思う。
ついでに既刊本の振り返り的なことも書いていく。サークル活動の実態や編集方針だけが気になる人は4.まで飛ばしてもらって大丈夫だ。
2020年の夏、私たちのサークル「てぱとら委員会」が最初に作った同人誌が、ハロプロ楽曲にまつわるエッセイ集『いちいち言わないだけだよ。』だ。
仕様:A5版72頁、即売会価格:700円
(画像をクリックするとサークルHPに飛びます)
副題のとおり、ハロプロの楽曲にまつわるエッセイを集めた本である。「あるハロプロ曲が自分の人生にクリーンヒットした瞬間」をテーマに、ハロプロファンの女性10名(友だち)から寄稿してもらった。
他にもハロプロの歴史をすごろく風に紹介するページ、失恋シチュエーションに合った曲を導くフローチャート、楽曲イメージオリジナルネイルなど雑誌風の企画も満載した渾身のめちゃかわファンブックとなった。
実はこの本を作るまで、私は同人誌を作ったことがなかった。
いわゆる二次元のオタク畑で育ってきて、同人誌といえば漫画や小説本という固定観念を強く持っていたからだが、考えてみれば自分で作る本の形式にも内容にも決まりはない。
こういう本が欲し~と長年妄想してきた本を、一度は自分の手で作ってみたいではないか。
2019年の年末、折々にイベントを開催して遊んできた友人たちに「こんどは同人誌を作りたいんよね、ハロプロ曲のエッセイ集を」と持ちかけたら一も二もなく賛成してくれたのだった。
ちなみに、メンバーの中に本格的に編集や執筆をしたことがあったり、仕事で関わったりしている人はいない(二次創作や学生時代のサークルくらい)。
非二次創作のZINE文化にも疎かった。本を提案したときは、この世には文学フリマという即売会イベントがあるらしい……と漠然としたイメージこそ抱いていたものの、文フリに遊びに行った経験すらなかった。見切り発車。だが発車すれば物事は進む。
そこで、まずはみんなで作りたい本のイメージを固める工程からスタートした。
エッセイ集のコンセプトに絡めていろんな角度からハロプロ曲を楽しむ雑誌的な色彩のファンブックを作れたら楽しそうだな~。そんな妄想が広がりはじめたころ、サークルメンバーから小澤みゆきさんの『かわいいウルフ』(同人誌版)の存在を教えてもらってめちゃめちゃ感動した。制作のあらゆる場面で大きな影響を受けている。
ほかにもメンバーと一緒に文学フリマ京都に遊びに行って、心惹かれる本や参考にできそうな本を買い漁った。
集めた本を参照しながら話し合いを重ね、作りたい一冊のイメージができあがったのが2月ごろだっただろうか。
その後、順調に執筆やイラストの依頼を進める私たちの眼前に暗雲が立ちこめる。新型コロナウイルスの感染が広がり、同人誌即売会の開催が危ぶまれるようになってきたのだ。
ついては本の主な販路を即売会からWEB通販へと切りかえるしかない。だがいくらファン層の厚いハロプロを取り扱った二次創作本だとはいえ、全くの無名・無実績サークルが出した同人誌を通販で多くの人に買ってもらえるとは思えない。
そこで、即売会を訪れるハロヲタにささやかに頒布する当初の予定から一転、TwitterアカウントをFF0から育てたり、告知noteをせっせと連載したりと、地道に認知度を高める広報活動にも力を入れるようになった。素人なりに……。
そんなこんなで完成した本の頒布をはじめたのが2020年の8月。
宣伝が功を奏し、たくさんのハロヲタやその他アイドルファンが関心を示してくれた。
自分以外の他の人はどんなこと考えながらハロ曲を聴いてるのかな、という素朴な疑問から生まれた本だが、同じことが気になっていた人が多かったんじゃないだろうか。
今でこそハロプロ公式側からも、ドラマ『真夜中にハロー!』やハロ!ステの「胸に響いた歌詞発表会」といった楽曲鑑賞企画が立ち上がっているが、当時まだアイドルファンの個人的な楽曲受容のあり方にフォーカスする切り口は珍しかった。それがハロプロに女性ファンが定着して膨大な楽曲を聴きこんでいる状況ともうまくマッチしたのだと思う。
すてきなデザインのおかげで、ハロプロやアイドルのファンでない方にも度々手に取ってもらえた。
そうして良い気になった私たちは、ミニコミ誌やZINEを扱う本屋さんにも置いてもらえるんじゃないか?と気になる書店にメールで突撃して営業をかけた。
謎のサークルの謎の本なのに、どの本屋さんもこころよく置いてくださった(本当にありがとうございます!)。
これは東京・下北沢にある「本屋B&B」さん。手作りの本を書店の店頭に並べてもらえるのはたまらなくうれしい!お店にお邪魔してウキウキで写真を撮った。
私たちの最初の同人誌はその後一度の増刷を経て、つい最近計400部くらい(多分)を完売している。
翌2021年の11月に刊行した2作目が『私たちの中学お受験フェミニズム』だ。
仕様:A5版80頁 即売会価格:700円 書店価格:900円
(画像をクリックするとサークルのHPに飛びます)
こちらは編集メンバーの経験した2000年代後半近畿圏の中学受験をフェミニズム的な視点で振り返り、いろいろと調査したり分析したりする本である。
独自に実施したアンケート調査の結果と、中学受験とジェンダーにかかわる4編の論考と、編集メンバーの座談会録を収録している。テーマのみならず、内容面でも一作目とはうってかわって自由研究の成果発表みたいな冊子となっている。
ハロプロからの中学お受験フェミニズム、どんな振れ幅?と思うよね。思います。私も思う。
のちに4.で述べるとおり、この急転回は私たちが内輪で盛り上がった話題をそのまま本にしているから起きたものだ。そこにあまり意味はないので、疑問はいったん脇においてほしい。
この本で取りあつかう問題は、受験という一見公平な選抜制度にひそむジェンダー非対称、女性に課されるネオリベ的競争と女性間の分断、親世代から引き継がれる雇用制度の性差別、親の負担と教育虐待などなど。語り口というかアプローチのしかたにもチャレンジがあって、客観的な資料にもとづく図表や論考と、主観的な体感や意見を語りやすい座談会の二段構成にしている。
だが、さすがにこちらは当初から中学受験の本を作ろう!と企画が立ち上がったわけではない。
同人誌編集の楽しさに目覚めた勢いで次回作を検討していたところ、ふだんからよく話題にのぼる家庭内のあれこれといったテーマを取りあげることが先に決まり、私たちがそれをやるなら中学受験というトピックは絶対外せないよね、てかよく考えたら中学受験って構造的に戸籍上の男女で扱いがめっちゃ違ったしそれってその後の人生にも大きく影響してるよね?みたいな流れだった気がする。
それは考えれば考えるほど切実な問題だと思えてきた。
私たちが歯がゆく感じていることは、男女別定員制というわかりやすい不公平を指摘するだけでは解決しない。
定員にかぎらず、受験の制度全体に入り組んだ形で内在するジェンダー不平等を問題化すること、女子中学受験生として受けてきた教育期待の曖昧さやいびつさについて語ること、狭き門をくぐり抜けた「優秀」な一部の女子だけがエリート街道を進み、その他の女子は切り下げられる選抜システムへの疑問を自分たちの現在までの歩みと接続させること。これらを一体の試みとして行わなければ、根本的な問題提起として機能しないだろう。
まあ、これに関していいたいことはいくらでも書けてしまうのでこのあたりでやめておく。
ああでもないこうでもないとだべりながら検討を進めていた2021年初頭には、都立高校の男女別定員が問題視されはじめたものの、中学受験にも似た問題があることはまだそれほど知られていなかった。まして「中学受験 フェミニズム」と打ち込んでGoogle検索したところで、求めている情報は一切出てこない。だから本を作って「中学受験のフェミニズム」が存在する世界にしたいね、というのが大きな目標だった。
それが必要であることははっきりわかっても、まだこの世にない視点を示したいとき、具体的にどういった言葉を紡げば意味を持つのかは自分たちでもよくわからない。一体我々は何の本を作っているのか?「中学お受験フェミニズム」って、何……?とブツブツいいあいながらキーボードを叩いた。
だから正直なところ、先のハロプロ本より売れないんじゃないかと本気で思っていた。(インターネットの狭い世界でネタにされることはあるが)あくまで大都市の一部の層の関心事にすぎない中学受験に対する、私たちの問題意識が外の誰かに伝わるかどうかも不安だった。
そうして2021年の秋、おそるおそるTwitterに投下した告知への反応の大きさには驚いた。
初頒布となった文フリでスペースを訪れてくれる人の多さも前回の本とは段違いだった。
本を読んでくださった方の紹介ツイートが伸びたこともあり、予想よりはるかにたくさんの人に読んでもらえている。
『私たちのお受験フェミニズム』。これはすごい。「2000年代後半に私立中学受験をした当事者が、過去の「お受験を振り返り、フェミニズム的な視線を向け直した本」。データが超充実していて(オリジナルの調査あり)、歴史も抑えてて、すごくしっかりした作り。近畿圏私立中学受験が具体例なのもいい。 pic.twitter.com/p6Gujvx0xL
— 竹田純【書籍編集】 (@TJ_paki) 2021年11月23日
また発行後、本を手に取ってくださった記者さんが声をかけてくださり、商業メディア(文春オンライン)にもサークル名義で取材記事を寄稿した。おかげで問題の認知度も上がったんじゃないかと思う。
ありがたいことに書籍化のお話もいくつか頂いたが、いまのところすべて辞退している。
まじめな話、私たちが何より望んでいるのは、次世代に自分たちの経験した抑圧を引き継がせないことだ。発行後は、子どもの中学受験を控えた方や教育に関わるお仕事をされている方から共感の感想をいただくことが特に多く、今もまだ問題が残っていることを痛感する。
だから、中学受験に限らず広い意味で問題意識を共有した書籍や記事、研究は商業同人問わずどんどん増えてほしい。また今後受験や教育の選抜過程におけるジェンダー格差に対する多角的な検討が進んでいくうえで、我々の言論が少しでも力になればなによりうれしい(協力できる限り協力したい)。けれど、私たちは教育や社会学、ジェンダー論の専門家でもなんでもないから、できることには限界がある。
あとがきにも書いたとおり、この本も友だち同士で「あのとき何がつらかったんだろう」「いつもの愚痴の背景にはどういう制度や歴史、社会の構造があったんだろう」と一緒に考え、自分たちなりに昇華したくて作ったものだ。
それ以上でも以下でもないが、裏を返せば友だちとの会話が確かに社会に繋がるのだと実感できた経験でもあった。
編集メンバーが「私たち」自身のために作った本が社会全体としての「私たち」みんなのものになるよう願いを込めた同人誌として、今後もこの本の内容が意味をもつ限りバンバン売っていくつもりだ。
なおこの本の発行と同時期にサークルのホームページを開設し、通販の受注もHP経由でできるようにした。
この本はまだ通販や書店で販売しているので、気になった方はぜひ買ってください(在庫はいっぱいあります!!)。
そして最新刊、今年2022年の5月に発行したのが『〈悪女〉のすすめ』。
この本は上記2冊とは違い、準備期間1か月程度の突貫工事で仕上げた。
仕様:A5版48頁 即売会価格:500円
韓国発のWebtoon(=縦スクロール漫画)の「悪女(憑依)もの」*1と呼ばれるジャンルにハマったメンバーたちが、自分用の「悪女もの」作品を書いても良くない!?笑と言い出してできた本だ。
オリジナル〈悪女〉小説『第七王女の都市計画』がページ数の半分以上を占めるという振り切り方をしている(他には編集メンバーのオススメ「悪女もの」作品紹介およびサークルメンバー座談会録を掲載)。
発行当時、ピッコマなど各種漫画アプリの人気ランキングが「悪女もの」Webtoon一色といっていいほどの盛り上がりだった。
だが、その現象に注目が集まっている気配はなかった。まして、反/脱規範的な存在である〈悪女〉に転生して定形的な異性愛ロマンスストーリーを眺めなおすという物語の“型”をフェミニズム批評的に分析している記事は見当たらなかったから、感想の記録本的に出すか~ということで作ったような気がする。新刊なしで文フリ出るのさみしかったし。
これは当初から趣味本とわりきって少部数しか刷っていないし、即売会でしか販売していない。
ここからは話題を変えて、友だち同士で同人活動をする上でのハウツー?や編集方針をすこし紹介する。
編集メンバーは6人全員がバラバラの場所に住んでいて、それぞれに生活がある。
モチベーションを保ちながら同人誌づくりを完遂するためには、とにもかくにも意思の疎通が最重要だと思っている。そのために実施しているのが以下の3点。
②Googleドライブのアカウントを共同管理する
③会議外で思いついたアイデアはTwitterの鍵垢に投げておく
こんな感じで常に脳内を共有することを心がけている。
これもたまに聞かれるが、検討の結果、現在は以下の3ルートに落ち着いた。
②書店……ミニコミ誌やZINEを扱う店舗に取り扱ってもらう。インディペンデントの書店が多い。様々な人の目にとまるし、作った本が本屋さんに並んでいると単純にめちゃくちゃうれしい。
③通販……在庫をメンバーが管理し、WEB上で注文を受けて発送する自家通販を行っている。受注サービスとして以前はBOOTHを利用していたが、サークルのHP開設と同時にピコ通販へと移行した。発送は手作業で大変だがメンバーが気合いでやってくれている(いつもありがとう)。
上記の方法がすべてではなく、工夫の余地はまだあるだろう。本の趣旨内容に照らして読んでもらいたい層に届けられるよう、部数や流通方法は毎回話し合って決める。
とはいえ、流通を拡大するためにはそれなりに費用も手間もかかる。少部数の冊子をたくさんの人に読んでもらえるようにするためには、内容に応じて寄贈を受け付けている図書館や専門機関のアーカイブなどに頼るのもひとつの手だ。
たとえば、国立女性教育会館の女性教育情報センターでは、女性・ジェンダーに関するミニコミやZINE(「男女共同参画および女性・家庭・家族に関する資料」)の寄贈を募集している。
女性教育情報センターでは、女性・ジェンダーに関する、グループ・団体・個人が発行したミニコミ・ZINEなどの自主出版物を収集しています!
— 独立行政法人国立女性教育会館 (@nwec_official) 2021年11月1日
詳細は添付画像をご覧ください。
・女性教育情報センターhttps://t.co/wuJZDj0jYV
ご寄贈歓迎いたします。下記よりご相談ください。https://t.co/EL3E5Mn0YA pic.twitter.com/zafbM6uPCb
これはすばらしい取り組みだし、自作の冊子をいつでも誰でも参照できる資料として保管してもらえるのはありがたい。積極的に寄贈していきたい。
・即売会参加費……1回数千円程度。私たちは年2、3回出展している。メンバーの居住エリアで参加しているため、遠征費は基本的に要らない。
・参考書籍など……∞。私はできる限り公立図書館を利用している。レファレンスサービスがあるのも図書館の魅力。
これらの出費を6人の出資でまかない、利益はないものの安定して続けられている。
個人的には、費用以上に時間の負担の方がヤバい。大量の資料を読み込んでアウトプットするのはシンプルに重労働だ。他人の原稿を編集するのは緊張して倍の時間がかかる。仕事との相乗効果で肩こりもひどい。
それでも出来上がった本をたくさん読んでもらえるとスーパー楽しいから凝り続けてしまう。
ここまで長くなったが、私たちが同人活動のコンセプトに掲げていることはこれだけだ。
めちゃくちゃ読みたいけど自分たちで作らない限り誰も作らない本を作る
要するにDIYサークルなのである。
だから行き当たりばったりなテーマで本を作ることになる。
幼少期に熱狂した『おジャ魔女どれみ』のMAHO堂の業態も、魔法グッズを売ったり花を売ったりお菓子を作ったりアクセを売ったりとめまぐるしく変わっていた。
よくいえばあんな感じのイメージだろうか(知らんけど)。
一方でこういうスタイルだからこそ一冊のコンセプトに熱量を込めて、納得できる内容の本を出せている気もしなくもない。
また、こうしたスタンスはフェミニズムという私たちの重要な関心・主張ともつながっている。
めちゃくちゃ読みたいけど自分たちで作らない限り誰も作らない本を作る過程は、個人的なおしゃべりから政治的な論点を取り出す試みになりうる。それってまさに歴史上でフェミニストたちが営んできた思考であり運動そのものだ。
こう書くとどうも難しいことをしているようだけど、普段みんなで集まって喋っていることは本気でしょうもない。
むしろしょうもないことを喋り続けるのが楽しくて一緒にいる。学校を卒業して遠く離れても成人しても働き始めても、いつまでもしょうもないことを喋っていたいと思ったからいろんな遊びを続けてきたのだ。
MAHO堂の業態がどれだけ変わってもMAHO堂が好きだったのは、花やお菓子にときめいていたのではなく、友だちと仲良くつるめる場所があることに憧れていたからだった。
世間は、仕事とは無関係で脈絡のない(特に女同士の)友人関係に対してわりと冷ややかだ。
人生をかけて友だち関係を維持する方法は雑誌のコラムで特集されたりしないし、キュレーションサイトもバズツイも教えてくれない。
でも単純に、みんなで話す時間をたくさん作ることと、楽しめる遊びを企画し続けることが大事なんじゃないだろうか。
そこに同人誌づくりがうまくハマったのである。
かくいう私たちも本を作る前は、さすがに毎週定例会議を開催したりはしていなかった。
瞬間的な盛り上がりを自分たちの内輪にとどめるだけでなく、深掘りしてアウトプットするという選択がひとつ増えたことで、会話はますます楽しくなった。
しょうもない会話が盛り上がると、「それで一冊出すか~」と誰かがいいだす。それならもう少し本を読んで勉強してみようかなと思う。
商売でやっているわけではないから、最終的に本にならなくても全然良いのだ。会議はとりあえず話したいことが話せる場所になっている。
密に考えを交換し続ける中で自分を省みることも増えた。
副次的だが一番大事な効果として、友だちの近況をコンスタントに知ることができる。元気がなさそうなら心配できるし、コロナに罹れば物資を送れる。一人暮らしの人も多いのでこれはほんとうに切実。
「みんなで同人誌を作ろう」と声をかけるちょっとの勇気から私が得たものはとても大きい。
ちなみに文学フリマには、「評論・研究―ジェンダー・LGBTQ」カテゴリがあって、最近の私たちはそのエリアに希望を出してブースを取っている。
全国の文フリの中で参加サークル数が最も多い東京でも、「ジェンダー・LGBTQ」エリアに配置されるのは5、6サークル程度だろうか(もちろん、小説やエッセイなど他のカテゴリにもそうした関心を持ったサークルはたくさん参加されているが)。
私たちもまだまだ新参ながら、文フリにフェミニズムやジェンダーに関する本がもっともっと増えたらいいのにな~とは常々思っているのでここに書いておく。
特に地方では「ジェンダー・LGBTQ」のカテゴリで参加するサークルが東京に比べてぐっと少ない!いつか東京に並ぶくらいの数になったら超超うれしいです。
さて、この記事に書いてきたことはすべて私の個人的見解だ。サークルの他のメンバーは全然違うことを考えているかもしれないし、上記のとおり思考を常に同期しているから結果的に似たようなことを考えているかもしれない。
あと、サークルメンバーは6人と書いたが、スポットで同人誌編集に協力してくれている人はほかにもいるし、旅行やイベントなど同人誌以外の遊びに参加してくれる友だちもいる。
発行主体として編集作業にかかわってきたのが6人というだけだ。文化祭の出し物や委員会活動みたいなもんである。あと当然ながら、リーダーも代表者もいない。本によってみんなの関与のかたちを変えながらわいわいとやっていきたい。
以上のとおり、全般的に見れば友だちと同人誌を作るのは楽しい!
だが、いろんな理由で会議中に雰囲気が悪くなることもあるし、〆切前は異常に忙しくてつらい。表現活動には勇気も要る。
だからもしこの先、同人誌を作りつづけることが誰かの重い負担になれば、いつでもサークル活動をやめればいいと思っている。
同人誌を作ったり売ったりすることよりも、友だち関係を続けていくことの方がずっと大事だからだ。
蛇足ながら最後に一応申し添えておくと、作りたい本を一人で作れるならそれにこしたことはない。一人で同人誌や雑誌を発行している人はこの世にたくさんいて、実際マジで尊敬しかない。
だが、私は非常に臆病かつ怠惰な人間である。
文章を書くのは好きだけど書き上げるのは嫌いだ。
事務作業やスケジュール管理も仕事以外ではやりたくない。
まず自分一人で即売会に参加する度胸がない。
だから思いついたアイデアにそれ良いやん!と言ってもらってやる気を出すし、原稿を落とすと全員に迷惑をかけるから〆切当日に書き上げられているし、苦手な作業は分担してもらっている。
私にとって、ジトジトと考えたり悩んだりしていることを書いて発表するにいたる、物理的・心理的なハードルをぐいぐい下げてくれるのが友だちなのである。